ABOUT MY PARENTS


芝居の稽古中、母に店に寄るように言われた。
母の営む洋服屋の前に自転車をとめると、母は留守。
店のドアに袋がかかっていた。

「あがさへ
   差し入れの飴
        ママ」

見慣れたこの達筆の読解困難の字。
ありがとってメールをいれる。
世話のかかる娘ですみませんと心の中で謝罪。

あたし、この字よく見たなぁ。
昔、かなり幼い頃、彼女の原稿を
こっそり読んでいたことを思い出した。
全然読めないような字なんだけど、内容はなんとなくわかって
あたしはそのとき自分の目に映る母とはまったく違う女を知った。

大抵、人の考えていることというのは、
長いつきあいですら正確には伝わらない。
母はその不自由さを熟知し、文章というツールで
ものすごく自由にすいすいと彼女の世界を泳いでいた。
彼女はタイプライターなんかもやっていて、
時々、推理小説なんかを雑誌に連載させていた。
たまに父に宛てたラブレターなんかも見つけてしまったりして。
母の書くそれは今の私の文章に気持悪いほどそっくり。観念的だ。
べタな青春を送っている。

今のあたしより三つくらい上の大学生(父もまた明大)の父と、
物書きをしながらも、銀座のグッチでバリバリ働く母。
父は大学時代、御茶ノ水でサックスばかり吹いていて
単位なんて、就職なんて頭になかった。
だけど才能だけはあって。
もし彼にほんの一握りの社交性があったなら、
きっとその才能はありのまま生かされたのであろう。
「まわりはみんな就職活動をはじめた。信じられない。」
みたいなことが書いてあった。

父も母も貧乏だったが、母は父の才能にすべてをかけていた。

「あたしはジャズのことはわからないけれど、あなたの才能は信じている」

社会性が少しばかり、母にあったおかげで
心中しないで済んだけれども、
お金を必要としない二人。
社会に対立する二人。
愛を知っているつもりの二人。
その死に際ギリギリで漠然とした人生への絶望感と高揚感の間を
ゆらゆらと生きる二人。
十代の鋭さが私に似ている。そっくりだ。

「夢は叶えるためにある」
「叶わない夢は夢じゃない」

なんていう人がいるけれど、それは人生の美しさを見逃している。
もちろん叶う夢は美しいけれど、叶わない夢の美しさを知らないのだろうか。
叶わないから夢なんだって、そんな馬鹿な意味じゃない。
すべてを懸けた夢が抹殺されたときの絶望感。
その美しさだ。
父は今あまりサックスを吹かない。
昔はよく父のジャズライブにいったものだ。
たまに吹いていることもあるけれど、その音色のなんと美しい。
人生の悲哀と煌びやかな幻想と死とが、すべて織り込まれている。
父の白髪と虚しすぎる背中ばかり見てきた私は、今こうして走り続けながら
なるようになると思っている。手を抜くことがなければ。
そうやって父は言っていたから。
今彼と彼女と私がもっているもの。
夢という輝かしい光と引き換えに手に入れた
家族という名の血まみれの鎖。
どんな結末でもかまわない。私は走り続ける。
間違いでも清清しい日々を駆け抜ける。


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